WGP初の永久欠番#34を持つレジェンドライダー!”ケビン・シュワンツ”を知っていますか?
アメリカのテキサス州ヒューストン出身のロードレースライダーで、1993年ロードレース世界選手権500ccチャンピオン。1988年から1995年までの8シーズンでGP通算25勝を記録した、全てのライダーの憧れ!WGP初の永久欠番【34】を持つレジェンドライダー”ケビン・シュワンツ”を知っていますか?
ケビン・シュワンツ:プロフィール
名前:ケビン・シュワンツ(Kevin James Schwantz)
生年月日: 1964年6月19日
出身地:アメリカ、テキサス州ヒューストン
ヨシムラスズキの契約ライダーとしてAMAスーパーバイク選手権で活躍し、1988年よりスズキのエースとしてロードレース世界選手権500ccクラスにフル参戦。
GP第1戦目の鈴鹿で前年のチャンピオン、ワイン・ガードナーを破っていきなり優勝を手にします。
当初は優勝か転倒リタイアかという極端なライダーで、年間最多勝の6勝をあげながら、6度の転倒によるリタイアによりシリーズランキングは4位に終わるなど、「優勝以外は価値がない」と言わんばかりのアグレッシブすぎる走りに、絶大な人気を誇った”ケビン・シュワンツ”
1990~1992年のWGP500ccクラスチャンピオンであるウェイン・レイニーと、アメリカスーパーバイク選手権時代からのライバルで何度も歴史に残る名勝負を繰り広げ、1993年にロードレース世界選手権500ccクラスのチャンピオンに輝きます。
1988年から1995年までの8シーズンでGP通算25勝を記録し、ニックネームはフライング・テキサン。
1995年に引退を表明するまで、スリリングな走りで圧倒的な存在感を示し続け、88年から94年まで人気No.1レーサーであり続けました。
そして引退後、スーパーバイク時代から長年使用したゼッケン「34」はWGP初の永久欠番となりました。
ケビン・シュワンツ:レース戦歴
AMAスーパーバイク
1984年 AMAスーパーバイク デビュー(カワサキ・GPz750)
1985年 AMAスーパーバイク ランキング7位(スズキ・GSX750E)
1986年 AMAスーパーバイク ランキング7位(スズキ・GSX-R750)
1987年 AMAスーパーバイク ランキング2位(スズキ・GSX-R750)
1988年 デイトナ200マイル優勝(スズキ・GSX-R750)
ロードレース世界選手権
1986年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング22位 (リズラ・スズキ・RG-Γ500)
1987年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング16位 (ヘロン・スズキ・RGV-Γ500)
1988年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング8位 (ペプシ・スズキ・RGV-Γ500)
1989年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング4位 (ペプシ・スズキ・RGV-Γ500)
1990年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング2位 (ラッキーストライク・スズキ・RGV-Γ500)
1991年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング3位 (ラッキーストライク・スズキ・RGV-Γ500)
1992年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング4位 (ラッキーストライク・スズキ・RGV-Γ500)
1993年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング1位 (ラッキーストライク・スズキ・RGV-Γ500)
1994年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング4位 (ラッキーストライク・スズキ・RGV-Γ500)
1995年 ロードレース世界選手権 500㏄クラス ランキング15位 (ラッキーストライク・スズキ・RGV-Γ500)
鈴鹿8時間耐久レース
1985年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝3位(チームヨシムラ・モチュール・スズキ・GSX-R750)
1986年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝3位(ヨシムラ・GSX-R750)
1987年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝リタイア(ヨシムラ・スズキ・オリオフィアット・GSX-R750)
1988年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝2位(ヨシムラ・スズキ・シエットGP-1・GSX-R750)
1989年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝8位(ヨシムラ・スズキ・シエットGP-1・GSX-R750R)
1992年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝リタイア(ラッキーストライク・スズキ・GSX-R750R)
2013年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝3位(TeamKAGAYAMA・GSX-R1000)
2014年 鈴鹿8時間耐久レース 決勝リタイア(Legend of YOSHIMURA SUZUKI Shell ADVANCE・スズキ・GSX-R1000L4)
ケビン・シュワンツのライディングは、深いバンク角とレイトブレーキで、終始接近戦を展開し、ゴール付近でブレーキングを遅らせて首位を奪取するという、僅差で勝利を手にする事が多く、毎戦観客を大いに沸かせました。
特に、1991年ドイツGPでウェイン・レイニーを最終ラップのスタジアムセクション入り口の侵入ブレーキングで豪快に追い抜いた接戦は今でも多くの人に語り継がれています。
ロードレースの歴史に残るケビン・シュワンツの激戦
1991年ドイツGP
1989年鈴鹿GP
1993年WGPイタリアGPの悲劇。そして引退へ
アメリカAMAスーパーバイク時代からの良きライバルだったYAMAHAのエースライダー”ウェイン・レイニー”。
2人は1993年のWGPでも抜きつ抜かれつのタイトル争いを繰り広げていました。
そんなタイトル争い真っ只中の第12戦イタリアGP決勝。
3周目にトップに躍り出たウェイン・レイニーは、そのまま2位との差をグングン広げていき、誰もが優勝を確信した11周目、高速コーナーでハイサイドを起こし転倒。
マシンから放り出され頭部からグラベルに落下、一命は取り留めたものの第六頚椎損傷の重症を負い下半身不随となってしまいます。
そして、残りの2戦をキャンセルし、そのまま引退を余儀なくされました。
最大のライバルであるウェイン・レイニーが居なくなったWGPで、その年皮肉にも念願のタイトルを獲得したケビン・シュワンツ。
レイニーをサーキット上で打ち負かし、勝利することを目標としてきたシュワンツは「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」とコメントし、初のタイトルを獲得した喜びよりもライバルを失った落胆の大きさを示した。
翌1994年はチャンピオンの証であるゼッケン1を掲げて連覇に挑むが、93年のイギリスGPで負った左手首の怪我と、最大のライバルであるレイニーを失った心のダメージに苦しみ、シリーズランキングは4位。
そして、1995年の第3戦日本GPを最後に欠場した後、第6戦イタリアGPにて引退を表明。自身の伝説に終止符を打ちました。
まとめ
勝ちか負けか、0か1か、潔良すぎる程に”勝ちにこだわる”ケビン・シュワンツのライディングスタイルは多くのファンの心を掴み続けました。
しかし、その真っすぐすぎるロードレースへの信念が、彼の親友であり、永遠のライバル、そして目標でもあったウェイン・レイニーの選手生命が絶たれた事による引退を受け、自身の永遠の不戦敗のように感じてしまったのかもしれません。
1993年にタイトルを獲得した以降のケビン・シュワンツの、心にぽっかり穴が空いてしまったかのような走りに、多くのファンが引退を予感していたと思います。
たくさんの人に惜しまれながらも引退していったケビン。
そんな彼が2013年、鈴鹿8時間耐久ロードレースにTeamKAGAYAMAから参戦。
その頭には最大のライバル、ウェイン・レイニーレプリカのヘルメットを被り、話題となりました。
そして現役時代のスピードは無かったものの今でも多くのライダー達が憧れるアグレッシブな走りで、チームの3位入賞に貢献!
彼のアグレッシブな走りが脳裏に焼き付いて離れなかった多くのファンを熱狂させました。
そして、現在彼は全てのバイクを愛する人々が安全に楽しく走れるように、小さなグループでのライディングスクールを開催しているようです。
永遠のライバルの離脱によりレースで走る意欲を1度は失ってしまったものの、やはりバイクを愛して止まない全てのライダーの憧れ”ケビン・シュワンツ”。
これからも、レジェンドとしてバイクに乗り続けて欲しいライダーの1人です。
Schwantz School公式HP → https://www.schwantzschool.com/
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