はじめに
神奈川県横浜市青葉区に「ドローン・サーキットSPLASH」という室内ドローンフィールドがある。レース用ドローンユーザーはもちろんのこと、買ったばかりのPhantom4を持って練習に来る初心者の方も多いという。首都圏の数少ない室内フィールドということもあるが、ドローンスクール講師も務めるオーナーの技術力と人柄もそういったユーザーを惹きつける要素の一つなのかもしれない。
今回のキーパーソンインタビューは、「ドローン・サーキットSPLASH」オーナーでありながらドローンスクール講師を務め、なおかつ本職はフリーランスのプロカメラマンという異色の経歴の持ち主である合同会社ざきやまの山崎英紀氏に、ドローンとの出会いのきっかけから現在のドローンフィールドオーナーに至るまでのドローン事業拡大の経緯を伺っていきたいと思う。
プロカメラマンとしてドローンに出会う
【田口】現在はドローンフィールドを経営しながらドローンスクール講師もされている山崎さんですが、もともとはTV関連のプロカメラマンなんですよね?
はい。共同テレビのカメラマンとして平成4年からお世話になっています。学校を卒業してから技術プロダクションに入社して、旅番組などを担当していました。それと、情報番組などのロケ番組をカメラマンになるまで5年ほど続けていました。その中で、早くカメラマンになりたい…という気持ちが高まっていた頃、よそから「カメラマンにならない?」みたいなお声がかかるんですよね、甘い罠が(笑)。
【田口】なるほど、甘い“罠”ですね(笑)。
はい。それで企業のPRビデオを制作する会社に入りました。当時はバブル期で、誰が見るんだろう?というビデオに結構予算をかけて、まるで映画のように本格的に撮影する会社が多かったんですよ(笑)。
【田口】そんな時代があったんですか(笑)。今考えるとうらやましいかぎりです。
その後、バブルが弾けてそのような仕事も少なくなってしまったので、会社に所属するのではなくフリーランスになりました。そこからたまたま知り合いのカメラマンに紹介していただいたのが、現在も仕事をしている共同テレビです。
【田口】そんな経緯があったのですね。そのカメラマンになる前っていうのは、どんなお仕事をされていたのですか?
それこそ、カメラアシスタントをしながら照明とか音声とかを担当していましたよ。ロケの場合は全体の流れがわからないとダメなので、音声や照明から学ぶんです。特にあの当時は、室内で撮影するときに照明がないと暗くてまったく映らないという時代だったので、アシスタントとして照明から始めることになります。ロケ車も運転して、現場で三脚持って…
【田口】すごい。本当に修業ですね。
そうです。それからビデオエンジニアとして、今度は音声を学ぶんです。そして、それらが一通りできるようになってやっとカメラマンになることができる。
【田口】で、そこからさらにドローンをやり始めたわけですよね。そのきっかけって何だったのですか?
共同テレビでドローンを導入したことですね。会社でPhantom1を購入して、それを使ってどうにか空撮できないかということでいろいろ試行錯誤していました。それからPhantom2が出て、映像伝送システムとして高機能なLightbridgeが出たので、そこから本格的に共同テレビの空撮事業がスタートした…という感じですね。
【田口】じゃあ、結構早い時期からドローンを活用されていたのですね。
そうですね。2014年に発生した広島県の土砂災害のときには、Phantom1、Phantom2を使っていち早くドローンで被害状況を撮影しました。これがドローンを使って二次災害の発見に貢献したということで、『めざましテレビ』スクープ賞を受賞しました。
【田口】ああ、あの広島県の土砂災害のときにドローンが活躍していたと聞いていたのですが、それは山崎さんだったのですね。そのような早い時期にPhantomのような小型ドローンを活用して報道していたとは驚きです。
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