悩んだところで状況は変わらない! 「悩まなくなる」考え方とは?
『悩まなくなる考え方』(白取春彦著、大和書房)の著者は、ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学んだ実績を持つ評論家。そのようなバックグラウンドに基づき、人間であれば誰しも持っている「悩み」については、次のように主張しています。
いくら考えたところで、どこへも行き着かない。そして、考えているうちに、解消に使える時間とチャンスを失ってしまう。
いくら考えても状況はいつまでも変わらない。状況を変えるのは、ただ行動だけだ。(「はじめに」より)
たしかにそのとおりかもしれません。ただ、頭でわかってはいても、そこから先になかなか進めないという現実があるのも事実です。そこでチャプター3「生きやすくなる思考と行動」から、状況を変えるために必要な考え方を引き出してみたいと思います。
些事(さじ)を悩みと名づけない
週にほんの数回のゴミ出しは面倒だろうか。面倒だと思うなら、ゴミ出しはいつまでも面倒くさく負担であり続ける。ゴミ出しの他の掃除、こまごまとしたメンテナンスなどは雑事だろうか。少しも生産的ではなく、誰が行なっても同じような小さな価値しか持っていない価値だろうか。(126ページより)
この問いかけに対し、著者は「そういったことはいつまでもくだらなく、煩わしいものとして存在し続けるだろう」と結論づけています。なぜならそれは、自分の心がそう決定してしまったということだから。
そして、悩みも同じ。ほんの些細なことを自分の悩みだと決めつけたとたん、あるいは悩みという言葉をそれにかぶせたときから、それは解決しにくい悩みになってしまうということ。それは、人間のネガティブな一面です。
また、現代人はあまりにも便利で、すぐになんらかの結果を出してくれる機器を使いなれてしまったせいか、ちょっとした迷いや洗濯を悩みのように思い込んでしまいがちだともいいます。
たとえば、進学先や就職先の選択は悩みなのだろうか。
進学や就職など、どこを選んでもだいたい同じだ。そこで自分が何をするかで状況がそのつど変わるからだ。
しかし、そのことで悩む人は、進学や就職が自分の人生に決定的な一撃を与えると決めつけているだろう。(127ページより)
同じように、人生上の選択によって、将来の自分がすっかり変わると思っているかもしれません。あるいは周囲から、そのように吹聴されていることも考えられるでしょう。いずれにしても小さなことを大きな重荷だと思えば、結果的にはそのとおりになってしまうだけだというのです。
でも本当に、ひとつの選択が人生を失敗に追い込んでしまうのでしょうか? どう考えてもそんなことはなく、「自分がどう変わるか」によって、物事はいかようにも変えられるのだと著者は記しています。
たいしたことのない事柄についても同じで、それらは重くも軽くもなるもの。他人から見ればほんの些細なことが、自分を圧迫してやまない悩みにもなってしまうわけです。(126ページより)
問題だと思うことを書き出してみる
なにか問題があるのだとすれば、どういう問題がいくつあるのかをはっきりわかっておくことが必要。でも著者によれば、その方法は至って簡単。悩んでいること、困っていること、問題だと思うことを、紙に書き出せばいいというのです。
そして、これは深夜にひとりで行うべき。「深夜は、頭のなかがごった煮のシチューのようになっているから、いくらでも吐き出すことができる」というのがその理由。思いつくまま、感情が高ぶるまま、勢いのまま、これ以上はないと確信できるまで、ひとつも漏らさず全て書き出すことが大切だというのです。そして、2日ほどそれをしまっておき、3日目の昼食後にそれを引き出すのだとか。
ざっと眺めながら、感情、想像、形容、すでに起きた事実でないものを発見したら、そのつどペンで二重線を引くなどして消す。
その他に二重線で消すのは、予想、予測、予定、憶測、期待、見込、思惑、善悪、良否、判断、気分、好き嫌いといったものが、わずかでも含まれている記述すべてである。
すると、残ったものは驚くほど少ないことに気づくだろう。せいぜい二つ、三つくらいしか残らないはずだ。
その数少ない事実の問題こそ、自分が実際に動いて解決すべき問題なのだ。(131ページより)
なお、この一連の作業は、決して頭のなかで行なってはいけないのだといいます。そうでないと、さらに混乱してとりとめがなくなるから。それに紙の上に書き出せば、その時点で心理的にかなりさっぱりするもの。いずれにしても、改めて言葉にしてみると、重い問題だと思っていたものがちっぽけなものにすぎないと感じることもできるわけです。
悩みだと思っていたことが、意外と小さなものだと実感することの効果は大きい。
その時点で目が覚めたように、悩みが解決してしまうこともある。
わたしたちが他人の悩みを馬鹿らしいと思うのと同じだ。(132ページより)
これとは反対に、自分の暗い思いのなかに閉じこもっているときだけ、悩みはとめどなく膨張するもの。すると、なにをするにしても徐々に自信がなくなっていくということです。なお、その弱気な感じは明瞭に外側にも表れるだけに、他人からも「悩みを抱えているのだな」と容易にわかるものだといいます。(130ページより)
あからさまに困ってみてもいい
悩みを自分ひとりのなかにとどめておくほど、つまり秘密にしておくほど、悩みは深まっていくばかり。それどころか、果てしなく膨張していくでしょう。しかし逆に、悩みや困った問題をオープンにしてしまえば、重かった荷が急に軽くなったかのように感じられるものだと著者。
オープンにするといっても、悩みや問題を愚痴ったりするのではない。ふだんからあからさまに口にするのだ。
その際には、自分に都合の悪い部分までもちゃんと口にする。あたかも落語に出てくる人物のように、悪びれずに。(133ページより)
これにも理由があるようです。つまり、そうすれば周囲の人々の不快感を与えずにすむということ。むしろ、ほっとさせるだろうとも著者は記しています。愚かに見えたとしてもなお、正直さは人々に安心感を与えるものだから。
また、オープンに困っていれば、誰かが助けの手を差し出してくれる機会が格段に増えるものです。このことについて著者は、「人は誰か他人を助けたがるものだし、あからさまな困り方をしていれば、そういう人がいっそう動きやすいからだ」としています。
そして、その場合のアドバイスには、実際に役立つものが混じっているものでもあります。アドバイスしてくれる人が、かつて似たような問題で悩んだことがあると正直に明かしてくれた場合はなおさら。だから、聞いておいて損はないということです。
また、実際にオープンに困ってみれば、その問題をあたかも他人事のように客観視できるというメリットも。つまりは自分ひとりで考えているときよりも、悩みの構造が見えやすくなるわけです。そこまでたどり着ければ、打開の一手を探すまであと少しだそうです。(133ページより)
人生で必ず起きることは、悩みではない
病気、怪我、不運、老い、死。これらは、どんな人でも必ず経験するもの。生きている限り、誰もが避けて通ることはできないわけです。また、予防することも不可能。それらから、自分だけ特別に逃げ切ることは不可能で、それぞれをそのたびに受け止めなければならないということ。
したがって、これらの事柄は誰もの人生の上で必ず起きることなのだから、それについていちいち悩んでも仕方がない。(139ページより)
私たちはむしろ、病気や怪我になる可能性があるからこそ慎重になり、不運がそこにあるからこそ細心になり、死が必ず待っているからこそ最善を尽くしたり努力できるもの。そしてまた、これらがあるからこそ、私たちは考えるのだと著者。
いいかえれば、人生で必ず起きることには、私たちを苦しめるという意味があるのではなく、「私たちが人間的に生きられるようにする」という意味を隠し持っているのだといいます。
人生はタイトロープの上を歩いていく綱渡りの芸ほど危険ではない。
何かしらの危険に追い込むのは、いつも自分の在り方なのだ。
自分が日々をどう歩むか、ただそれだけが、自分の人生模様を一つずつ決めていくのである。(140ページより)
その構造は、若くても老年になっても変わりはないそうです。(139ページより)
個性の強い文体で書かれているだけに、最初は難しく感じるかもしれません。しかし読み進めれば、そのメッセージが実際にはシンプルであることに気づくはず。日々の暮らしのなかで忘れかけていたことを思い出すためにも、読んでみる価値はあるかもしれません。
(印南敦史)
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